納豆の旬は1月って知ってた?「納豆のお年取り」「糸引き納豆の日」に食べたい!お正月の納豆レシピ

納豆の旬は1月って知ってた?「納豆のお年取り」「糸引き納豆の日」に食べたい!お正月の納豆レシピ

1年中手軽に食べることができる納豆ですが、納豆の旬は1月であり、お正月に欠かせない行事食であることをご存じですか? そこで当記事では、日本を代表する発酵食品・納豆についてご紹介します。

納豆の旬は1月って知ってた?6日「納豆のお年取り」&10日「糸引き納豆の日」に食べたい!お正月の納豆レシピ

まずは、1月6日の「納豆のお年取り」や1月10日の「糸引き納豆の日」とはどのようなものなのか、また、納豆の旬が1月である理由や納豆がお正月に食べられるようになった訳をご紹介します。さらに、納豆の歴史をはじめ、納豆の栄養やカロリー、ダイエット作用など、納豆の健康効果をチェック。加えて、納豆を毎日食べ続けた結果どうなるのか、食べ過ぎてしまう危険性についてなど、納豆の適切な食べ方も見ていきましょう。そして、ご当地納豆ランキングや納豆レシピ、自家製納豆の作り方もご提案させていただきますよ! 「納豆月間」といっても過言ではないほど、納豆にまつわる風習や記念日がある1月に、ぜひ納豆をおいしくいただいてみてくださいね。

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1月は納豆の月!お正月にも納豆を食べよう

1月は納豆の月!お正月にも納豆を食べよう

季節を問わず毎日食べたい納豆ですが、実は、1月が納豆を食べるのにもっともふさわしい月なのかもしれません。その理由とは、どのようなところにあるのでしょうか?

1月6日は「納豆のお年取り」

1月6日の「納豆のお年取り」とは、年越しを指す「お年取り」の日に納豆を食べて、その年の無病息災を願う伝統行事です。1月6日に納豆を食べることで「万病の根が抜けていく」という言い伝えが受け継がれており、その日の夕方に納豆汁を作って、家族みんなで食する地域もあるようです。

納豆汁とは、すりつぶした納豆と豆腐が入った味噌汁のような養生食です。納豆、豆腐、味噌はすべて大豆由来の食品であり、植物性タンパク質をはじめ、各種栄養素がたっぷり含まれています。なかでも、納豆と味噌は大豆の発酵食品でもあります。納豆汁とは、まさに1月の納豆月間に食べるにふさわしいメニューともいえるのではないでしょうか。

1月10日の「糸引き納豆の日」

1(い)月10(と)日を「糸」とする語呂合わせから、また、受験シーズンでもあり「粘り強く合格を目指す」という意味を込めて、全国納豆協同組合連合会が1月10日を「糸引き納豆の日」に制定しました。ちなみに、7月10日は「納豆の日」ですが、こちらも同連合会が定めた納豆記念日となります。

それらに加えて、平安時代後期の武将・源義家のエピソードも「糸引き納豆の日」の由来となってるそう。源義家は、馬のエサとして戦に携帯していた煮豆が、馬の体温で腐って糸を引いていたものを食べたことから、「糸引き納豆の始祖」とも呼ばれているようです。そんな源義家が、奥州の支配者・清原氏の内紛に介入して起きた「後三年の役」を平定した時期にちなんで、1月10日を「糸引き納豆の日」としたという説もあります。

納豆の旬は1月から2月

納豆の原料である大豆の収穫時期は、10月半ばから12月頃とされています。大豆は、余分な水分が飛ぶと身が詰まるので、旨みも凝縮するもの。そのため、収穫後数カ月間貯蔵した大豆を1月から3月頃に納豆にすると、ふっくらとした新豆の食感と甘みはそのままに、深い味わいの納豆が出来上がります。また、納豆は冬の季語のひとつにも挙げられるほど、冬によく食べられる食べ物であったようです。納豆の旬が1月といわれるのは、そのような理由があったからなのですね。

ちなみに、平成29年の大豆の自給率(食品用に限る)は25%となります。国産大豆以外で作られた納豆の旬はこの通りではない、と考えてもいいでしょう。

納豆は、お正月にいただくハレの日の食べ物だった

大正終盤から昭和初期において、主に東北地方、また京都の一部では、年の瀬に自家製納豆を作り、お正月に食べる風習があったようです。1年のなかでも重要なハレの日であるお正月用の納豆作りは、「納豆ねせ」や「納豆年取り」と呼ばれ、年末の「煤(すす)払い」という大掃除の前後に仕込まれていたそう。

それらの納豆は、三が日に納豆餅にして食べたり、1月7日の人日の節句に七草粥の具として用いられたり、七草粥の代わりに納豆汁として食べられており、現代でもその風習が残っている地域もあります。

納豆の歴史

納豆の歴史

糸引き納豆の始祖といわれる源義家のエピソードの前から、納豆には古い歴史があるようです。

納豆の発祥は弥生時代

中国から稲作が伝わった縄文時代を経て、米や大豆を作っていた弥生時代の頃には納豆に近いものが食べられていた、という説があるようです。

というのも、弥生時代の竪穴式住居は、まさに納豆ができるのにふさわしい、以下のような環境にあったからです。

竪穴式住居の敷物として床に敷かれた藁(ワラ)

納豆を作るのに必要な納豆菌は、藁(ワラ)などに付いている枯草菌の一種です。藁は、床の敷物に使われていることからもわかる通り、保温性と保湿性に優れています。そして、納豆菌は高温多湿な環境で活発に働く菌でもあるのです。

暖を取るための炉(ろ)と呼ばれる囲炉裏

竪穴式住居は、暖を取るために設置された炉(ろ)によって、住居内の気温が暖かく保たれていました。そのため、竪穴式住居の床に敷かれた藁は、納豆菌の格好の住処となります。

また、収穫された米や大豆は、そのままだと固くて食べられないため、弥生時代から煮て食されていたと解釈するのが妥当でしょう。煮た大豆が床の藁の上に落ちて醸され、偶然納豆ができたということも、十分に考えられる説ではないでしょうか。

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