私は幼少期から引っ込み思案で、自信のない子どもでした。思春期は特にそれが顕著で、将来の夢や目標らしきものができても「どうせ自分には無理だ」「そんなものになれるわけがない」と、始める前からあきらめていました。ずっとそういう性格なのだと思っていましたが、結婚して子どもが生まれ、母親や祖母のわが子に対する言動を見て、「もしかしたら環境のせいもあるのかも」と考えるようになりました。
「できるわけない」という言葉
私は子どものころお絵描きが好きだったので、小学校低学年くらいのときに「絵描きになりたい」と家族に言ったことがありました。絵を描くことが好きだからずっとそれをしていられる大人になりたい、という子どもらしい夢だったと思います。
しかし、母は「なれるわけがないでしょう」とひと言。たぶん、子どもながらにそんなふうに言われるとは思わなかったのでしょう。少しびっくりした気持ちになったことを覚えています。
めげずにその後も言い続けていましたが、そのたびに母や祖母に「できるわけがない」と言われ、そのうちに成長して絵を描くこと自体も面倒になっていきました。
「○○ができるの?」という言葉
中学生になって進路について考える時期になり、「大人になったら~がしたい」「将来~になりたい」というようなことを私が言うと、両親は必ず「そうなるためには○○(具体的な行動の説明)という大変な思いをしなければならないけれど、それがあなたにできるの?」と返しました。
そう言われると、自信のない私はそんな大変なことが自分にできるわけがないと思ってしまい、「じゃあ、やめる」と言わざるを得ませんでした。両親は「それでもなりたい。頑張る」という言葉を期待していたのかもしれませんが、その言葉を言えるほど私の自己肯定感は強くありませんでした。
ずっと続いている悪習
ずっと、自分は目標を持って何かを成し遂げることができない、意気地や根性のない性格なのだと思ってきました。しかし、実家に帰省した際、「もしかしたら環境のせいもあったのかも」と考えるできごとが。
当時4歳のわが子はやはりお絵描きが好きで、「大人になったら絵描きさんになる」と言っていました。実家に戻った際にわが子がそう言うと、90歳になる祖母がニコニコしながら「そんなの無理に決まっているでしょう」と言ったのです。私は、その祖母の笑顔と台詞のギャップに、呆然としてしまいました。
そして、納得もしました。母もこうして実母に育てられていたのだと。気づかないうちに同じように子どもである私にも言葉をかけていたのだと。
「私はわが子にこんな言葉は絶対にかけない」と、そのとき強く思いました。
わが子にはなるべく挫折してほしくない、つらい思いをしてほしくない、と思います。母も祖母もそういった気持ちがあって、「できるわけない」という言葉になってしまったのかもしれません。しかし、そのネガティブな言葉が刷り込まれて、自己評価を下げてしまうのも事実。ネガティブな言葉がけは私の代で封印して、わが子には「目標に向けて努力することができる」という自信をつけさせるような言葉がけをしていきたいと思っています。
著者:松本寛子3児の母。結婚を機に地方へ引っ越し出産。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
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